井戸平左衛門がこの寺でさつま芋のことを旅の僧侶から聞いたといわれる曹洞宗の寺院。慶長年間(1596年)の創建で、文化4年(1807年)に再建されたと言われています。
栄泉寺の朱塗りの山門は水天門または竜宮門と呼ばれており、この地方では珍しい形式の山門です。第19世、仏乗禅師が住職の頃の嘉永6年(1854)禅師の好みで建てられたものですが、日光の嘉陽門も長崎の崇福寺の山門に良く似ているところから徳川天領の代官屋代増之助から、「断りなしに地方のお寺が無礼だ」といって、ひどく叱られ取り壊しの厳命が下りました。
そのころ仏乗禅師は本山の永平寺を尋ねて留守だったため、栄泉寺では豪華門に荒むしろをかけ、板で囲いをして通行止めをするという騒ぎだったそうです。
山門はこうして日の目を見ないで何年かが経ち、銀山にも幕末の激動が伝わりうやむやのうちに幕府が崩壊。明治の新政府が生まれて、いわくつきの山門は取り壊しの災難を免れたようです。