銀山柵内から西方8.8kmの日本海沿岸にあり、石見銀山を毛利氏が支配した16世紀後半、銀の積み出しと石見銀山への物資補給が行われた港。
リアス式海岸の沖泊港は海が深く波が静かで、大型船の入港が容易だったため、主に16世紀前半の約40年間、銀の輸送や、銀山で使われる物資補給のため大型船が出入りしていた港です。
毛利時代以降の銀の積出港・沖泊や元就が設けた水軍の根拠地の城塞・鵜の丸城の城跡は、当時、港を使って物資を運ぶ人々の活気で溢れていました。
江戸時代には北前船の寄港地にもなり、船をつなぐ「鼻ぐり岩(はなぐりいわ)」がたくさん残り、中世の港の歴史的景観を今に留めています。その名残を感じ、情景を思い浮かべてみるのも楽しい。
沖泊集落では、石見銀山にゆかりのある航海安全の恵比寿神社や船舶用に供された3つの共同井戸、集落の火除け神である小祠、天正17年(1589)銘の荒神像が祭られている荒神社などがあり、往時の歴史を伝承する行事なども残されています。