石見銀山の最盛期である江戸時代の初め、慶弔15年(1610)に本妙院施上人により創建されたと伝えられている日蓮宗の寺院。代官阿久津修理義守墓所【県指定文化財(史跡)】もあります。
大森町には、かつて日蓮宗の寺院が九ヶ寺あったと伝えられていますが、現在は妙蓮寺のみとなっています。
当時の厨子や須弥檀、日蓮上人御像はもともと銀山にあった本法寺のものと伝えられています。
「阿久澤修理義守墓所(島根県指定史跡) 」
本堂に向かい合う斜面の高台には、四十五番目の代官であった阿久澤修理義守の墓所があります。阿久澤修理は大森代官として、文化十一年(1814)から文政四年(1821)の七年間にわたり在任しました。任期中の文化十二年(1815)二月には、勝源寺の裏山に徳川家康を始め十一代家斉までの位牌を祀る東照宮を移し、同じ八月には大森代官所の門長屋を完成させました。