石見銀山の大森町のとなりに、「大国」という地名の町があります。現在の大田市仁摩町大国(旧大国村)で、面積は約15.1キロ平方メートルで市内でもかなりの大きさを誇ります。 江戸時代の「大国」は石見銀山御料内(天領)でした。明治には「大国」の柑子谷で、石見銀山の大森鉱山として、銅採掘の近代的な開発を始めたところでもあります。
石見銀山の大森町のとなりに、「大国」という地名の町があります。現在の大田市仁摩町大国(旧大国村)で、面積は約15.1キロ平方メートルで市内でもかなりの大きさを誇ります。 江戸時代の「大国」は石見銀山御料内(天領)でした。明治には「大国」の柑子谷で、石見銀山の大森鉱山として、銅採掘の近代的な開発を始めたところでもあります。
その「大国」の中市には、出雲大社と同じ大国主命を祀る「八千矛山・大国主神社」があります。
太古のむかし、高麗の地からお帰りの大国主命が、宅野の韓島に上陸されて、国見ご巡回の道すがら、この「大国の里」にお立ち寄りになりました。
命はしばらく当地に滞在され、「御子森(みこもり)」の窟(いわや)で古代信仰をなされ、奥地に住む賊を平定されました。その折の戦の場所が「血の原」や「勝池」などの地名で残っています。
そして、八千矛山に宮所を定められて氏神として祀られたことから、この地を「大国」の地名で呼ぶようになったと言われています。
通称:氏の宮(うじのみや)
鎮座地:仁摩町大国1137-1
旧地名:邇摩郡大国村八千矛山1137-1
主祭神:大国主命
由緒・沿革:大国主命は外国を修め帰りましし時宅野の沖韓島に着き給う。此の島より大国に来たりまして暫し大松の下に雨露をしのがせ給う、其地を笠松と云う、時に村民仮に社殿を建て奉る。これを仮舎谷と云う、後八千矛山に社殿を建立して命を奉祀する、故に村名を大国村と云う。又奉祀せる山を八千矛山と云うなり。産土神社なりしも応永年間石見八幡宮を奉斎して之を氏神社とせり、されど氏の宮と称して村民の崇敬篤し。
※開催日順で掲載
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