いも代官「井戸平左衛門正明公」ゆかりの神社
享保16年(1731)大岡忠相の推挙により第19代代官に任ぜられた井戸平左衛門正明は、折りしも享保の大飢饉に苦しむ領民のため薩摩国から他の地域に先駆けて石見国にさつまいもを導入・普及をもたらしました。
また、飢饉の際には自らの財産や裕福な農民から募った浄財で米を買い、幕府の許可を得ぬまま代官所の米蔵を開いて与えたり、年貢を免除・減免したことなどで有名です。
このような功績から、60才の高齢と任期2年の短期にもかかわらず、領民から「いも代官」として慕われ、現在の島根県だけでなく鳥取・広島県にも功績を称える多くの頌徳碑が全国に建てられていて、その数は約500基にものぼります。
享保18年(1733)石見から遠く離れた備中笠岡(岡山県)の地で62歳で亡くなっています。彼の死因は病死説と切腹説の2説がありますが、おおむね病死説の方が有力なようです。 拝殿の向拝(ごはい・拝むところの意)には勝海舟の筆になる「井戸神社」という木製の額が掲げられています。